問題と向き合う

問題や悩みをひも解く糸口

【悩み】 問題と向き合う

問題や悩みを、根本から解決するために、

「もと(原因)」となる、
考え方の「歪み」や「偏り」に気づいていく。

「心は何に反応しているのか」

自分の内側と深く向き合うことで、
問題の奥に隠れている「怖れ」と「願い」が見えてきます。

受け入れられない問題が起きて、
悩み、苦しむときは、

同時に、

「気づき」によって、
生き方の自由を広げる「きっかけ」

なります。

悩みの渦中にある自分の姿を、

少し引いた視点から「客観的」に観ること

素直な気持ちを抑え込んでいた、

無自覚な「思い込み」に気づくこと

自分の内側と外側、
その両方から、

「何が、自分の身に起こっているのか」を
理解することで、

問題や悩みをひも解く「糸口」に、

たどり着くことができます。

問題や悩みの奥にあるもの

身体や心の不調

職場、学校などでの人間関係

家族に関する悩み

生き方、将来についての不安

人が一生を送る中で、
問題とは、まったく無縁で、
悩みを持つを経験を一度もしない人は、いないはずです。

誰もが避けて通れない、
つらく、苦しい状況から抜け出そうと試行錯誤しているとき、

意識下の世界では、

「○○しなければならない」という命令が自分を追い詰め、

「○○するべき」という義務感に押しつぶされそうになりながら、

「○○してはいけない」という禁止に身動きを制限され、

それでも、
何とかして、その場を切り抜けようとして悩み、葛藤しているものです。

目の前の問題をつくり出した原因の根っこは、自分の内側です。

人の抱える悩みは、すべて、
「こうあるべき」なのに、「そうできない」という、

「心の葛藤」から生まれていると言えます。

自分の「外側で起こる」出来事に対処し続けているのに、

「何をしても、うまくいかない」
「いつも同じような苦しみから、逃れられない」
「自分ばかりが、こんな目に合う気がする」

そんな、行き詰まった状況のときにこそ、

問題の渦中にある自分を
「ありのままに観る」視点を持ちながら、

意識を自分の「内側に向ける」ことが、

問題解決の糸口へと繋がります。

誰もが心の内側に、

一人ひとり違った、悩みや問題を抱えて生きているとしたら、

「どんな問題を抱えているのか」
「悩みにどう対処しているのか」といった、

自分自身の「葛藤の仕方」と「反応の意味」を、深く理解することで、
見えてくるものがあるのです。

・人は、何かを「選択して」生きている

日々の暮らしの中で、私たちは、
明日の予定や夕食の献立といった「日常的なこと」から、
就職や結婚など「人生を左右する決断」まで、

ありとあらゆる場面で、
何かを選び、何かを決める「選択」をしています。

意識するかどうかに関係なく、
人は、目の前の出来事に反応し、
「どうするのか」を判断して、意思決定を繰り返している
のです。

たとえ、
「選択の余地などない」と感じたとしても、

それは、置かれた状況の中で、
無意識に「選択しないことを選んでいる」とも、考えられます。

人生は「選択の連続」で、できています。

そして、
「悩み」や「問題」は、何かを選択する中で生まれています。

問題と向き合う

私たちの心の中で、「問題」が起きたと認識され、
「悩み」の原因が生まれる
のは、

「選択の過程」で迷いが生じたり、
「選択の結果」について、どうしても納得できず、

「思い通りにならない」「受け入れられない」「許せない」
そんな「不快な気持ち」になったときと言えます。

自分の身に起きたことを認められないまま、望む結果を得ようと葛藤し「抵抗すること」が、

問題や悩みを抱えている状態なのです。

問題や悩みが生まれるしくみ

人は、「思い込み(前提・価値観)」を通して世界を見ています。

まったく同じ光景を見ていても、
今の自分が持っている価値観によって、まったく違う光景に見えて、
まったく違う体験をして、まったく違うものを得ているのです。

「問題となる出来事」が起こったときでも、起こった現象自体に意味はありません。
出来事はいつでも中立です。

また、悩みの対象が「嫌な人」の場合でも、
相手が「何を思ってそうしているのか」は想像にしかすぎません。

人は、出来事(現象)が起こると同時に、無意識に「解釈」をしています。

解釈して出来事や人に「意味づけ」をすることで、
気がつかないうちに良いか悪いかを判断し、評価しているのです。

この解釈の仕方は、「人によって受け取り方は違うこと」からも、
その意味づけが絶対に正しいわけではないことがわかります。

私たちが、疑うことなくしている解釈(意味づけ)は、すべて独自の「思い込み」なのです。

・出来事、現象に解釈を加えると問題や悩みになる

問題を抱えて悩むのは、
外側のありのままの「事実」と、自分の望む「理想」とのズレの間で葛藤しているからと言えます。

解釈して、意味づけされた「自分の思い通りにならないこと」が、
(問題だと思っている人にとっての)悩みや問題となるのです。

何の意味も持たない「ただの出来事」が、問題や悩みとして認知されたとき、
私たちは「不都合なもの」と判断して、「何とかしよう」とします。

それは、見方を変えると、
(自分にとって)認められない、望まない出来事を、
(自分の信じている)思い込みに従って、変えようとして、

「○○なはず」「○○すべきなのに」「○○してはいけない」という
(自分が許している)制限の中に収めようとしているとも言えます。

「思い込み」の枠に合わないことは、自分にも、まわりにも「禁止」していることです。

だから、「そんなことが起こること」自体が、許せないのです。

そして、その「受け入れられない出来事」は、
解釈(意味づけ)される「もと(原因)」となる「思い込み」「固定観念」がある限り、

「その場」は何とか切り抜けたとしても、また、別のところで、
「同じような悩み・問題」が起こり続けてしまいます。

「思い通りにならない」と感じる出来事のいったい何が、
自分にとって「良くないこと」なのか、なぜ、不都合だと意味づけしているのか、

問題や悩みの根っこにある「無自覚な思い込み」に目を向けることが、
本当の意味で、問題の解決に繋がるのです。

・行動を制限する思い込みは、なぜ生まれるのか

「思い込み」は「その人にとっての」当たり前のこと、常識、信念です。

「守られるのが当然」だと無意識に信じている、その「思い込み」は、
「そうでないと困る」ことであり、

もとは、不安、怖れ、疑いから生まれていると言えます。

かつて、自分にとって、
「自分の存在を脅かす」「自分の世界が壊れる」ような出来事が起きた。

そのとき、何かを「思い込み」、
そうならないための方法として「やってはいけないこと」という制限ができたのです。

多くの場合、それは幼い頃の悲しい出来事と結びついています。

親の言うことを聞かなかったから、もう、うちの子ではないと怒られた。
だから、自分勝手にしてはいけないと強く心に決めた。

弟や妹をいじめたら、弱いものに手を出すのは卑怯だと言われた。
だから、弱い物は守らなくてはいけないと思い込んだ。

思ったままを言っていたら、生意気だ、バカにするなと叱られた。
だから、相手の顔色をうかがいながら会話するようになった。

自分の中の怖れ「見たくないもの」「挫折」「絶望」を、
「もう、見ないようにするため」につくられたのが「思い込み」
です。

思い込みに従って行動を制限し、「もう、しないように」注意を怠らなければ、
嫌な思いを避けられると信じているのです。

・行き詰まったからこそ、見えてくるもの

問題や悩みのから抜け出せず、同じことが繰り返されるとき、

無意識に「制限された選択肢」の中で、答えを導き出そうと苦しんでいると言えます。

目の前の「問題」を「何とかしたい」と思う気持ちの根っこにあるのは、
「思い込みの枠」が守れなくなる不安です。

もしも、「問題を解決できない」「悩みを克服できない」
そんな「思い通りにできない自分」になってしまったら、

自らが課してきた制限「思い込みの枠」から、はみ出してしまう。

「問題の存在」が、自分の存在価値を脅かすと思っているから、

追い詰められたような焦りや、底知れぬ不安に襲われてしまうのです。

つらい状況から抜け出すために必要なことは、
気がつかないうちに自分を縛り、動かしていた「思い込み」に気づくことです。

「思い通りにならない」

そんな、行き詰まったときこそ、
自分を制限している「思い込み」や、考え方の「偏り」「歪み」を見つめ直す、
良い機会になります。

ずっと守ってきた「思い込みの制限」に「限界」が見えたことは、
行き詰まりや、絶望感を生み出すと同時に、

これまで無意識の奥に埋もれていた
「自分を縛る思い込みの制限」を自覚できるようになったこと
意味しています。

「うまくいっていたとき」には「当たり前」に思えて、
意識されることなく流れていたことが、

思うように「できなくなった」からこそ、
自分自身の力で「振り返り、向き合えるようになった」のです。

たとえ、先の見えない、苦しみの渦中であっても、

不安や怖れに「飲み込まれている自分」に気づけたのなら、

何かを「怖れている自分」を受けとめたのなら、

すでに、自分を縛る枠から、抜け出し始めていると言えます。

出口の見えない状態に陥った自分を、一度「受け入れること」が、

自分から離れて「客観的な視点」を持つことになり、
枠の外から、あらたな視点で問題に取り組むことができるのです。

「問題をつくり出している」のは問題だと思ってる人

今の自分にとっての問題「困ったこと」「避けたい出来事」は、

かつての自分が体験した嫌なことを思い起こし、

無意識に守っている世界を脅かす怖れ、不安、疑いに結びつくことになります。

問題や悩みとなる「出来事」や「人」は、

その現象や存在自体よりも、

見せたくない自分の姿に繋がるかもしれないという不安や、

心の奥に閉じ込めた心の痛みに、

「また、触れるかもしれない」と、
思い込んでいることの方が、重要なのです。

それは、
自分が無意識に隠して抑えている反応の「もと」が、
すでに自分の中にある
ことを意味します。

問題や悩みとして「反応」して、怒りを感じたり、心がザワザワするのは、

心の中に「もと」になる種を隠して、抑圧しているからです。

隠しているものがあるから、反応する。

「隠している」からこそ、表に出たら「都合が悪い」から、

その出来事(現象)や嫌な相手を良くないものと判断し、
自分から遠ざけようとします。

でも、「いつまでも隠し続けることはできないこと」も、

心のどこかでは、もう、わかっている。

問題や悩みの渦中で感じているのは、

これまでの思い込みによって制限された
「偏ったやり方」を、やり尽くした手詰まり感と、

自分の「やっていること」への疑いや、自信のなさです。

自分の行動を制限して抑え込むやり方に「限界」を感じながらも、

できれば避けておきたい「もう二度と味わいたくない感情」に
「触れるかもしれない」怖れとの間で、

迷い、葛藤しているのです。

「問題」が生まれたとき、同時に「答え」は存在している

「どうしたらいいんだろう」と悩むのは、もう「答え」があるからと言えます。

「答え」が存在しなかったら、迷ったり、葛藤することすらないはずです。

「答え」が「わからない」のは、自分に「盲点がある」からです。

「ある」はずのものを、見失っている。だから、悩むのです。

そして、「答え」が見えなくなる「盲点」ができるのは、
「思い込み」によって、自分の行動を制限しているからと言えます。

自分のつくった制限が盲点を生み出し「答え」を隠しているのです。

「苦しい」「うまくいかない」「行き詰まってしまう」というのは、
盲点のせいで、「自分の本当の望み」を見失っている、
「本当に望む生き方」からズレているという、
「自分の本心」を思い出すためのサインでもあります。

内側にある本心に気づくためにも、

制限の枠にとらわれたまま、
「どうしたら、いいのか」行動にばかり意識を向けるのではなく、

その奥にある気持ち「本当はどうしたいのか」に目を向ける。

何度も繰り返され、どうしても抜け出せない状況の根っこにあるのは、
「答え」に自分が値する自信が持てない「自己不信」です。

「答え」に気づいても、
自分には「できないかもしれない」という「疑い」「怖れ」が、心の奥にあるのです。

だから、自分の内面と向き合うよりも、
対象となる現象や、嫌な相手の方を「何とかしたい」と考えてしまう。

つらく、苦しい状況から抜け出すために、
「良さそうな解決方法」を探し続けてしまうのも、見方を変えれば、

不安に突き動かされ、怖れている事態を避けるために、
今の自分に足らないものを見つけて、「何とかしよう」としていると言えます。

そもそも、
自分が避けておきたいこと、怖れ、疑いから目を反らそうとする感情には、
「本当はどうしたいのか」はありません。

気がつかないうちに、
本当の願いを「ない」ことにしてしまう
「思い込みの制限」をつくり、

その中で、「うまくいく方法」を探している。けれど、

限られた範囲内でのやり方は、これまでも散々やり尽くしている。

だから、行き詰まってしまったのです。

・「答え」は思い込みの制限の外にある

本心を隠して、見失ったまま、目の前の問題だけなくそうとしても、
いつまでも核心には近づけず、表面上の現実は「同じこと」が繰り返されてしまいます。

本当に望んでいるはずの「答え」は、
盲点になっている「本心」「本音」の方にあります。

心の奥では「そうしたい」のに、触れることが心底怖いことが「答え」なのです。

「本当はどうしたいのか」は、

「わからない」のではなく「わかりたくない」

問題と向き合う

思い込みの制限の外に出ることで、
「どうしたいのか」本当は望んでいる願いが、「わかってしまう」と、

封印していた「もう、味わいたくない感情」に触れる怖れにも、直面してしまう。

「できれば避けておきたいこと。だから、気づきたくない」

「わからない」ことで、現状に縛りつけて、自分を「守る」ことができるのです。

かつての自分が決めた「してはいけないこと」
非常識だと、真っ先に選択肢からはずした場所に「答え」はあるのに、

その制限の存在が、
結果として、選択肢を狭め、「答え」に近づけず苦しんでいる・・・

「思い込み」の枠で「行動を制限すること」で、
安心できる、自分の身は守れる場所を確保したはず。なのに、

とても不自由で、
一番「欲しかったものを選ぶこと」が「許されない世界」にいると言えるのです。

問題や悩みとの向き合い方

見えていなかった「自分の内側」に気づいていく

自分と向き合って、自分の殻から抜け出すために、
まず、「反応している自分」に気づいて、現実を「そのまま捉えること」が必要です。

そもそも、目の前の現実や人を「思い通りにすること」には無理があります。

そして、
次に見るべきは、その現実に反応した自分が「感じていること」です。

自分の中から湧き上がる感情を「そのまま」感じてあげるのです。

出てきた感情を否定して「抑えよう」「なくそう」とすると、
かえってこじれて、苦しい状態が長引いてしまいます。

感情を「そのまま」出すこと、
何が出てきても「否定しない」こと
が大切です。

たとえ、人には見せたくない「存在すら許したくない感情」であっても、
「ある」ことを否定して、遠ざけようとすると、
かえって「自分の答え」から離れてしまいます。

感情を受けとめて、ひたすら「味わう」ときは、
人のせいにしても良いし、言い訳することも、弱音をはくことも許してあげる。

無意識に否定し、抑え込んでいた「弱い自分」も認めてあげることが、
制限の外にある「ありえない」答えに繋がる
のです。

「感情を抑えることなく出すこと」を、やり切った頃には、

自分が、
「どういう世界にいる(と思い込んでいる)」から、その反応が起きたのか、

その世界で、
「何をしなければならない(と思い込んでいる)から、葛藤してしまうのか、

自分の内側で何が起こっているのかに気づけるはずです。

現実をそのまま受け入れ、
外側で起こる出来事に反応していた意識を、
悩みを生み出した内側に向けていく。

「問題」が起きたときの「視野」「考え方」のままで、
不快な現実を「何とか変えよう」としても、
目の前の問題は、いつまでも「そのまま」
です。

視点が変わり、焦点が移ることで、
解決できないと思い込んでいた悩みを解く糸口が見つかるのです。

「感じていることを否定しない」こと、
「見えていなかった感情に気づく」ことが、
自分を受け入れているという「自分への信頼感」になり、
混乱から抜け出して、地に足が着くようになっていきます。

もし、自分と向き合うときに、心の痛みや怖さがあって、
どうしても「うまくできない」「行動できない」ときは、

その焦りや苛立ちの感情も「そのまま」出してあげる。

どんな感情も「ある」ことを許して、受け入れることで、
「なぜ、自分はそんなことをしてしまうのか」「どうして、いつもそうなのか」
無意識に抱えている「思い込み」が見つかります。

本来は意味を持たない「ありのままの現実」と、

それに反応し、問題や悩みとして抵抗している自分が「感じていること」

その間にある溝(ズレ)を埋めるように存在している、
自分が心の奥底で「信じていること」

「〇〇なはずだ」「こうするのが常識」「あれは絶対ダメだ」と
「思い込んでいる信念」に気づくことで、

「自分の内側で何が起こっていたのか」が整理され、自覚できるようになるのです。

自分を制限する「思い込み」探しの先に見つかるもの

自分が心の中で
「○○しなければいけない」「○○するべき」と思っている・・・
だから苦しいんだ・・・

そんな「思い込み」を、どんなに見つけ出してみても、
あまり意味が見いだせなくなってくるときが、やがて訪れます。

終わることのない「思い込み探し」にも、行き詰まってしまったのなら、
さらに自分を掘り下げるときと言えます。

そもそも、悩みや問題を通じて、
偏った「思い込み」や、歪んだ「価値観」を見つけるのは、

自分を正しい方へ変えようとしたり、
無意識にしていたことを否定するためではなく、

その奥にある本当の気持ちを見つけ、受けとめるためです。

「思い込み」は、傷ついた本心「本当の願い」を封印するためにつくられたものです。

歪んだ形で何かを思い込むことで、フタをした「本心」

自分のせいにして、無意識の奥に隠した「願い」

「思い込み」をつくる原因になった
「本当は言いたかったこと」「わかってほしかった気持ち」は、
心の奥で、ずっと、くすぶっています。

「思い込み」に無理があったり、あきらかに不自然だったりして、
他の人からは、どうしても理解しにくいときほど、

それだけ「大きな怖れ」と「大切な願い」が一緒にあるものです。

心の奥底にある「答え」を思い出したくて、
まるで、引き寄せられるかのように、同じような環境にはまり、
同じように行き詰まってしまうとしたら、

どうしても繰り返してしまう、
苦しい現実に向き合うことでたどり着いた、その場所を掘り下げていくと、

「何を自分の内側に取りもどす必要があるのか」
「本当は自分は何を大切にしたいのか」
「心の奥ではどんな世界を望んでいるのか」

自分がずっと抱えていた「本当の望み」「大切な願い」が見つかります。

行き詰まった負の連鎖から抜け出すために、本当にするべき行動は、

問題を切り抜ける「上手くいきそうな方法」を探し続けることでも、
「仕方がない」と自分を説得することでもなく、

それを、問題だと認識し、悩みとして持ち続けている自分の内側にある、
譲れない「願い」を思い出すことです。

心からの願いにこそ、思い込みの制限を越えていく力があります。

本当の望みに気づき、受け入れ、
「思い込みの制限」の枠の外にある、これまでは「ありえなかった行動」を許せたとき、

問題や悩みの渦中で「反応していた感情」は、
「本当に欲しいもの」を、「自分自身に教えていた」ことに気づけるはずです。

無自覚に起こる反応に、まず、気づくこと。そして、

怖れから逃れるための「思い込みの枠の中」と、
枠の外に出た「本当に望んでいる世界」の、

その「どちらの世界に、今、自分はいるのか」を見つめ直し、行動の軸を決めることで、

内面にある「願い」は、少しずつ、確実に、明確になり、
その存在感を増していきます。

心が本当に望む選択を、
一つひとつ大切に積み重ねていくと、その先に、

「ここが自分が求める場所だった」と素直に思える
「まだ見ぬ、心から行きたかった場所」に、たどり着くことができるのです。


「思い込み」で制限された世界は「不自由」

「安全」なはず。なのに、「苦しい」

自分を守ってくれて、

安全な場所にいるための、

制限、決まり、だったはずなのに。

かつて、
自分を守る殻として決めた、

もう絶対に
「してはいけないこと」「許されない振る舞い」は、

今では、
自分も、他人も、追い詰めてしまう。

だから苦しい。

自分は、なぜ、

「こんな場所にいるのか」

外側に反応し続ける、

「思考」の存在に気づいて、

内側で起こる、

「感覚」に意識を向けると、わかる。

心の奥で、本当は、

「何を大切にして生きたいのか」

言葉にならず、

誰からも受け入れてもらえず、

隠すようにしまい込まれて、

自ら見捨てようとした「本当の気持ち」を、

もう一度、見つめ直し、
自分の一部として、受け入れ、

「ずっと、そうしたかった」

本来の形に、もどしてあげる。

それが、

今は「わからない」の先にある「答え」

かつての自分が、無意識に封印した「願い」

制限をつくる殻の外、
これまでのやり方の反対側に、

「答え」にたどり着くための「行動」がある。

無自覚に思い込んでいる
「してはいけないこと」「自分にはありえないこと」

自分を縛る制限を「教えてくれる」ために、
問題や悩みは、目の前に現れたとも言える。

制限、殻、前提、決まりごとは、
かつて傷ついた自分が、これ以上傷つかないように、
感情を守るために、つくったもの。

知らず知らずのうちに、でも、心底傷ついたとき、

自分の居場所が足元からなくなる怖れに、脅かされたとき、

心の奥で、何かを思い込み、

そして、

何かを「決めた」

そこに「何があるのか」を知っているのは自分。

言葉で傷ついたのなら、言葉でしか癒せない。

誰かに傷ついたのなら、その相手と向き合うことでしか癒せない。

願いが届かなくて傷ついたのなら、
もう一度、自分の願いに繋がり直すしかない。

だから、

もし「目の前の現実」が変わらないのなら、
同じことが繰り返されるのなら、

まだ「制限の中」にいて、もがき続けている。

「盲点」となって、見えていないものがある。

「本当に怖いこと」に、踏み込めないでいる。

傷ついて、何かを思い込み、
その傷をかばって「もう二度と、あんな思いをしないように」
つくりあげた制限。

そんな古い、歪んで、偏った、
不自然なやり方に限界がきているのなら、

心の「歪み」「偏り」という、

自分の生き方の根っこにあるものと「向き合うこと」でしか、

「問題」や「悩み」は消えない。

不快で目障りな「相手」や「出来事」だけ遠ざけようとしても何も変わらない。

でも、自分を抑え、偏ったやり方を駆使しながら、
バランスを取って、長い間、生きてきてしまったのなら、

これまで「やってこなかったこと」をやることで、
一時的に不快に感じたり、バランスを崩すことがある。

「これまでやってないこと」は、当然、うまくできない。

「思い込み」を抱えて、ずっと、そうしていたのだから、

慣れ親しんだやり方が、楽に思えてしまう。

そして「やっぱりダメだ」「結局、同じだった」と、
絶望したりする。

その絶望すら、自分の内側にすでにあったもの、
だからこそ感じた「やっぱり」

それでも、

そんな自分の中の絶望さえも、否定しないで、
ここまでたどり着いた自分の姿を、受けとめながら、

「何に傷ついたのか」
「何を怖れているのか」
「何を守りたいのか」

自分と向きあうことでしか、
心の奥に閉じ込めた「願い」には、たどり着けない。

「願い」は、傷つかない。

だから、

「願い」は、なくならない。

「やらなければよかったのに・・・」と
傷ついたのなら、それは、

自分を制限していた「思い込み」の方。

苦しい状況から、どうしても抜け出せないのは、

何度も同じところに還ってくるのは、

弱いからとか、不甲斐ないからとか、
そんな自分を責める理由ではなく、

その場所にこそ、

切り離したり、置いていくことのできない、

自分にとって大切な何かがあるから。

自分と向き合うことで見つかる「願い」がある。

その証だから。


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